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読書感想「悼む人」天童荒太 

「永遠の仔」以来待ち続けていた作品なのにとても重たいイメージが最初からあって手にするのをずっと躊躇していました。それが、今、この時期に読んだのは何かの巡り合わせなのかなとも思っています。
主人公「坂築静人」のなぜそこまでして他人の死を悼み続ける旅をするのか?最初の疑問は、家族や静人に関わるキーパーソンのエピソードを通じて解き明かされていきます。
「悼む」のは「冥福を祈る」のとは違うと静人は語るが、「誰に愛され、誰を愛していたか、どんなことで感謝されていたか」それを確かめて心に刻むという静人の行為の意味は物語が進むにつれて次第に理解できるようになります。
「忘れないで覚えていてほしい」と自然と思うことは、自分の存在(生きた証)が人の心に残りつづけてほしいという思いであり忘れ去られてしまうことの恐れだと思います。
不慮の事故で突然にこの世から消えてしまった大切な故人について、いつまでも覚えていてほしいというのは遺族や親しかった友人が抱く思いです。
静人の苦悩は、無二の親友を突然、失った絶望感から始まっています。一方、物語では、余命の少ない静人の母の息子や家族への思いと家族との交流が描かれてゆきますが、こちらはお互いの思いが通い合いながら死を迎え入れていくある意味、心の準備が伴う死を描きます。
静人の心の巡礼ともいえる旅の行方は、母の最期に出会えたのかははっきりとわかりませんが、母自身はそれができたことで物語は終わります。

あとがきには、この物語の萌芽となった10年前の作者のメモ書きには「多くの人の死にふれ、悲しみを背負いすぎて倒れてしまった人」、「何もする気にはなれず、ただただ悼んでいる。」と記されていたとあります。
メモに記された内容は、東日本大震災で被災した方々と重なるとともに「悼む人」の存在が身近に感じられ、また「悼む」心につながっている「哀悼の意」が世界中に溢れているのを今は感じています。

読み終えたとき「果たして自分は人の死に対して「悼む」の深い思いは理解できたのか」と内省しながら、「自分の父親の最期はどうだったのか?自分は父親の思い理解できていたのか?」と自らに問いかけ当時の思いを呼び起こしていました。とにかく読者それぞれの死生観にとても影響を与える本です。

(2011年5月18日読了)

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